Down in Albion / BabyShambles

時代錯誤なロックヒーロー

ダウン・イン・アルビオン
リバティーンズピート・ドハーティによる新バンド、BabyShamblesのデビューアルバム。プロデュースを務めるのは元クラッシュのミック・ジョーンズということもあり、初期のクラッシュを思わせるスッカスカのパンクサウンド満載のアルバム。リバティーンズよりも更に贅肉を省いた骨と皮のパンクロックと言ってもいいだろう。「FUCK FOREVER」と言い放つ割には随分と型にはまったサウンドで優等生的でもあるのがなんとも皮肉だ。
ドラッグ中毒による度重なる入院と脱走、オアシスの前座をすっぽかしてノエル・ギャラガーを激怒させ「あのペニス野郎」と言わしめるなど、ステージ外の活動の方が話題だったりするピート。生き方がロックだ、パンクだ。はたまた現代のシド・ヴィシャスだの、ジム・モリソンだのと持ち上げられたりもしているが、僕は彼のその刹那的で破滅的な生き方に、美しさや格好良さを感じたことは一度もない。それは偏にピート・ドハーティの行動にひとつも熱量を感じないからに他ならない。何かを表現する時に発せられる炎のような熱さ。「あちら側」に行ってしまった人間は文字通り、魂や命をすり減らして音楽を生みだし、そして燃え尽きていってしまう。それが良いか悪いかは問題ではなく、だからこそ破滅の美学と呼ばれる極限のロックが生み出され、伝説になってきたのだと僕は思う。だが、この「現代のカリスマ」と呼ばれるピート・ドハーティは散々やり散らかしておきながらも、確実に「こちら側」の人間だ。人としての道は完全に踏み外しているが、音楽にその身を費やそうという覚悟は感じられない。ただひたすらドラッグに溺れ、ただひたすら欲望に従って生きている。たまたま音楽が当たったからそれで食っていこうとしているだけだ。目的ではなく、ただの手段としてのロック。
そんな感じだから、世間を騒がすだけ騒がして発表したサウンドが初期クラッシュの劣化コピーというお粗末さ。結果として音で人をねじ伏せられないのであれば、それはロックスターではなく、ただの駄目人間でしかない。その「駄目さ加減」ですらロックであると定義するのも個人の勝手だし、事実そういう「駄目人間」も歴史上多く存在もしている。だが、インターネットが普及しマスメディアのみの情報が全てではなくなってしまった現代で、このような「ただやり散らかしてるだけのヒーロー」は冷笑の対象でしか無くなってしまうのではないだろうか。ピート・ドハーティの生き方は20年前では確かにヒーローになり得たかも知れない。しかし、僕から見た2005年に生きる彼は、現実から逃げているだけの時代錯誤なただの道化でしかなく、僕がティーンズであったとしても憧れの対象からはほど遠いとしか言えない。
ポジティヴであろうとダークサイドであろうと、ヒーローというのは「何か」と闘うからこそ人を惹きつける力があるのだ。逃げているだけのチンピラの遠吠えは、やはりチンピラのそれでしかない。Baby Shamblesは現在は話題も先行しているのでそれなりに騒がれるだろう。だが、今のままで行くと10年後の彼は名も無きピエロでしか無くなっていると断言出来る。同じチンピラタイプのギャラガー兄弟がここまでカリスマになり得た理由はひとつしかない。彼らが叫んだ言葉は「FUCK FOREVER」ではなく「LIVE FOREVER」だと言うことだ。その自信が全てを物語っている。