you / 倖田來未

最も健全な00年世代の行き着く先はどこなのか?

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倖田來未というアーティスト名を聞いて、あなたがまず考えることは何だろうか。過激な衣装、"エロ格好いい"というキーワード、エイベックスの新しい歌姫、ギャルの新教祖。どれもが彼女を端的に表現していると言えるが、実を言うとどれも彼女のイメージから少し乖離しているとも言える。仕事柄、僕は彼女がブレイクする前から何度か取材をしたり、ライヴを見たりしているのだが、実際彼女の口から飛び出す言葉やパフォーマンスは世間のイメージよりも地に足がついており、そしてダイナミックだ。
デビュー曲が全米チャートにランクインするというまさに鳴り物入りな形でこの世界に登場した倖田來未は、それ以降ヒット曲に恵まれないという不遇の時代を過ごす。幼い頃から学んだ日舞を基盤としたダンスの流麗な動きと、しっかりとした歌唱力を兼ね備えていた彼女だが、才能があれば売れるという物でもない。デビュー時のトラックは彼女の日本人離れした実力を体現すべく、本格的なR&B調に制作されていたが、それが日本人にはあまりにも早すぎたために、逆に敬遠されることとなる(当時は元ちとせなどによる日本的なメロディが"癒し系"として絶大な支持を集めていたこともある)。加えて、妹が所属するDay After Tomorrowが先にブレイク。正直ショックだったと彼女の口から当時を振り返る言葉が漏れた事が忘れられない。
それから倖田來未のサバイバルが始まった。元々の本格的なR&Bを視野に入れつつも、ゲームのテーマソングにも起用出来るJ-POP的なメロディなど、形式にこだわらず幅を広げ意欲的に自分の道を模索し始めた。イメージ的な面でも、衣装やダンスの試行錯誤を繰り返し、どうすればリスナーにインパクトを与えられるかと言うことを考えに考えたと言う。結果として随分と長い回り道をする事になったが、それらの模索の途中で得たものが「キューティーハニー」のカヴァーで結実し、彼女は一躍注目されることになる。
どこにでもあるど根性物語といえばそれまでかも知れない。だが、全てに対して内省的になって、その場に踏みとどまったり、過去を振り返るばかりのアーティストが多い昨今で、これだけ意欲的にサバイヴを試み、前へと進む彼女を、僕はとても素晴らしいと思う。世紀末という究極の最終形が解体された00年以降、立ち向かうべき不安が漠然となり、何と闘って良いか分からなくなってしまい迷走を続ける同世代の中で、"売れたい"という明確な意識を持って世界と闘ってきた彼女は最も健全ではないだろうか。
同じエイベックスの殿堂入り歌姫、浜崎あゆみのライヴも見たことがあるが、彼女のライヴは一人の人形を装飾するために過剰に演出された壮大なファンタジー空間だった。絶望と孤独を歌い上げ、それを極限まで膨れあがった幻想の中で昇華していくという、宗教にも似た神聖さでオーディエンスを癒していく。対して、倖田來未は肉体ひとつを武器に、生身のパフォーマンスで勝負する。全身全霊でオーディエンスとコミュニケートし、未来を打開していく。じくじくと内に引き籠もっているロック・アーティストより数倍ロックンロールだと思う。"癒し"と"救済"が意味をなくし、"感傷"は停滞でしかなく、結局は自分の力で闘っていくことでしか道が拓けないと大勢が悟った今、彼女に支持が集まるのは当然の結果とも言える。
ベスト盤が100万枚のセールスを突破し(皮肉なことに不遇の時代が一気に再評価されたのだ)、名実ともにトップに躍り出た彼女。次なるステップは12週連続シングルリリースという前代未聞の挑戦だが、本人の意思か事務所の決定かは別にして、波に便乗して一気に売ってしまおうという感じのこの戦略が個人的にはあまり好きではない。今までの回り道と、地道に培ってきた実力を持ってすれば、倖田來未はもっと長く戦えるアーティストだ。先行するイメージを徐々にひっくり返し、自分のスタイルを維持出来るだろう。今が旬と勝手に判断して、一大セールのようなことを施してしまうところが、彼女の人気の根本的な部分を見誤っているように思えて仕方がない。過去のエイベックスアーカイブからのコピペのようなメロディ、流れ作業のような歌声。そこには今までの倖田來未が育て上げてきた魂はない。頂点に上りつめた後、彼女は何処へ向かおうというのだろうか。