Whatever People Say I Am, That's What I'm Not / Arctic Monkeys

手法ではなく、魂と結びついたバンド

ホワットエヴァー・ピープル・セイ・アイ・アム、ザッツ・ホワット・アイム・ノット
「暴れ馬のようなアルバムだ」というのが第一印象だった。前のめりのビートに腰のあるベースライン、炎上するギター・サウンド、そしてラップのようなボーカルがこれでもかと矢継ぎ早に繰り出され、乗る者を振り落とさんばかりの勢いで暴れたかと思えば、急に大人しくなったり、再び暴れ出したりと全く先が読めない。そのスリリングな展開にハラハラし、「さあ、次はどう暴れる?」「俺を振り落とすのか?」とまるでロデオを楽しむかのように彼らの撃ち出すにサウンドに爆笑しながら酔いしれる。殺し合うことと愛し合うことが背中を向き合わせているような極限と極端のコミュニケーション。確かにここ数年、ここまで「手に負えない」バンドはいなかった。ハイプでもお坊っちゃんバンドでもない、ナチュラル・ボーンな悪ガキ共。最早説明も必要ないだろう。Arctic Monkeysの初のフルアルバムである。
以前シングルのレビューを書いたときは、まだ何者なのかほとんど分からない状態だった部分もあったが、こうしてアルバム全体を聴いてバンドの全貌がようやく見えてきた。彼らの音楽は、純粋な足し算引き算で判断出来るものでもなく、かと言ってかけ算わり算で出せるものでもない。モッズ・サウンドを基盤としているものの、所々にハード・コアやグランジ的な要素も見受けられるし、ボーカルを初めとしてビートにもHIPHOPの影響が見え隠れしている。それらが全て複合的に合わさり、メンバー一人一人の数式に組み込まれ、二乗三乗されて求め出された解がすなわちArctic Monkeysなのだ。彼らの中にはロックやHIPHOP、R&Bといったジャンルの境界はないし、UK、USといった国境もない。さらにはブリット・ポップやニューウェーヴなどの手法と結びつくことで、他のバンドとどう差別化をつけるか、どう出し抜くか、どの波を作るか、乗るかと言った計算も見え隠れしていない。どのジャンルにもどの国境にもどの部類にも属さず、自分たちに蓄積された経験値だけを元に魂と直結して、兎に角沸き上がる衝動と言葉をそのまま曲として記録しているだけなのだ。泥臭いようで古くさいようでいて、情報過多な現代ではこの手法はなかなか難しいし、だからこそカウンター・カルチャーとしてシーンに大きな爆弾をぶち込んだのだろう。不器用なようで彼らは実に器用なのだ。聴けば聴く程このアルバムの凄さには感心してしまう。この先がどうだとか、これからどうなるだとか以前書いてしまったが、撤回しよう。未来なんてどうだっていい。今を生きるこの一枚が、一瞬のギグが一生心に残るなら、それはとっても素敵なことじゃないだろうか。この一瞬に賭ける情熱を僕は忘れていたのかも知れない。