ゲド戦記

多くの課題を残した初監督作品

アーシュラ・K・ル=グウィンによって書かれ、「指輪物語」「ナルニア国物語」に並んで世界的に有名なファンタジー小説をスタジオ・ジブリがアニメ化。監督を務めるのは、宮崎駿監督の実子であり、これが初監督と成る宮崎吾朗。映画版の実質主人公となるアレンをV6の岡田准一、大賢人ゲドの声を菅原文太が担当するなど豪華な声優陣も含め、今夏の話題作として注目を集める傍ら、宮崎吾朗氏が初めてアニメ映画のメガホンを取るということに対して、危惧する声も上がっていた本作。初監督としてはよく出来ていると思う部分もあるが、やはり多くの課題を残す結果になったと言わざるを得ない。
太古の言葉が魔法として力を発揮する多島世界アースシーを舞台とし、一人の魔法使いゲドと彼を取り巻く人々を描いた原作は、外伝を含めると6冊にも及ぶ大長編となるが、第3巻にあたる「さいはての島へ」をベースにし、そこに他のエピソードの要素を盛り込むことで、2時間の物語にまとめ上げ、尚かつ人間の持つ「強さと弱さ」と「生と死」という二つのテーマをしっかりと浮き彫りにさせた手腕は共同脚本家がついていたとはいえ、非常に上手い。しかし物語の持つプロット自体は単調で盛り上がりに欠け、突きつけられるテーマもこれと言って目新しいものでもなく、脚本としては非常に優秀な仕上がりだが、優等生的すぎて面白みがないというのが正直な感想だ。その癖、ヒロインであるテルーが持つ秘密についてはかなり説明不足。一応それらしい伏線が張ってあるのだが、どうしてそうなのか、なぜそうなったのかという説明が一切されずエンディングに突入し、観客はかなり放置される形となるので相当後味が悪い。物語の展開上、この説明不足さは監督の意図したものであるのは明白なのだが、では何故そうしたのかと考えてみてもとんとわからない(僕の勉強不足故ならば、それはすいません)。
更に、ここが最も致命的だとも言えるのだが、この作品の作画は通常のジブリ映画と比べて格段に劣る。駿監督の作品のクオリティが高すぎるのを差し引いてもかなり雑だ。監督が違うのだから別の作品として見る…という考え方も当然出来るのだが、見た目がいつものジブリアニメの絵そのままなので、どうしても比べてしまう。深夜のテレビアニメでもかなり高度な作画を見ることが可能な現代で、劇場映画で、しかも天下のジブリアニメがこのクオリティとなるとかなりの失望を味わわざるを得ない。加えて、演出に躍動感がまるでなく、キャラクターの動きが全く活き活きとしていない。ネタバレになるので詳細は伏せておくが、後半は見せ方によってはいくらでも絵的に盛り上げられる場面の連続であるのに、どれもこれもが単調な展開で終わってしまっているので、映像的にも物語的にもカタルシスが得られず、消化不良なやるせなさに襲われる。一応クライマックスにそれらしい映像も用意されてはいるのだが、これはこれで作画の雑さが気になっていまいち盛り上がらない。別に作画のクオリティが全てとまでは言わないが、実写映画において撮り方や編集が作品を面白く見せる重要な要素であるのと同じように、アニメ映画において絵のクオリティはやはり重要な位置を占めているように思える。駿監督の「ハウルの動く城」は絵ばかりが動いて、物語を進めることを放棄していたが、この「ゲド戦記」は物語ろうとする意思に対して絵の力が全く追いついていない。絵の持つ力とそこから得られるイマジネーションの限界に挑み、どんどんアナーキーになっていく駿監督と、ジブリ映画の原点に立ち返り、物語を動かす力をもう一度再建させようとする優等生的な吾朗監督。親子で全く逆のベクトルに向かっていると言ってしまえばそれまでだが、この二人が共同で「ゲド戦記」を制作すれば、かなりのものになったのではないかなぁという気がして、それはそれで非常に惜しい。
…と、色々厳しいことを書いてしまったが、僕は吾朗監督の次回作に期待を寄せてもいる。完全に直感の話になってしまうのだが、「ゲド戦記」を見て、今後のジブリを担って行くのは彼しかいないのだろうなという仄かな希望も確かに感じ取ったからだ。誰だって最初から上手くやれるわけじゃない。これがスタートラインなのだ。ジブリ映画を見て育ってきたひとりのファンとして、温かく見守って行きたい。