レディ・イン・ザ・ウォーター

シャマランの奇妙な冒険

こう言うと決まって驚かれるのだが、僕はM・ナイト・シャマランの大ファンである。彼の作品はどんなにつまらなくても必ず見に行くし、DVDも全作品持っている。どうして好きなのかと問われれば、それははっきりとは答えられないのだが、あの勿体つけた話の前振りと、それに反比例するかのように突きつけられる脱力極まりない結末のギャップがどうしようもなく愛しい事だけは確かだ。まるでビックリ箱をプレゼントするかのような、いたずらっぽさ。そのビックリ箱を開けて相手が驚くか否かが問題ではない。相手を驚かせよう、楽しませようと言う、その心意気と無謀さとイノセンスに僕はきっと惹かれ続けているのだろう。

そのM・ナイト・シャマランの最新作「レディ・イン・ザ・ウォーター」をいち早く観てきた。引き篭りがちなアパートの管理人が、プールに住み着いていた妖精をと出会ったことから不思議な出来事に巻き込まれていくと言うこの物語は、元々はシャマランが子供を寝かしつける際に即興で作ったと言うシャマラン流「おとぎ話」。今回は今まで売りにしてきた「どんでん返し」を廃し、物語ることに徹底するなど、今までと違った趣を見せてはいるものの、見終わってみると、やはり徹頭徹尾完全完璧な「シャマラン映画」。登場人物たちが異常な事態、現象を目の前にしてもほとんど驚くことなく物語を進めていくのは、おとぎ話だからと言えば聞こえはいいが、いい大人が妖精やそれにまつわる伝承に飲み込まれていく様は、純粋を通り越して狂気的ですらある。

シャマランの映画の多くには元ネタが存在し、「オリジナリティなどどこにもない」と叩かれがちだが、それでもこんな異質な作品をメジャーで発表できるのは彼しかいない。そういう意味で、やはり彼はオリジナルなのだ。言い方を変えるのならばこんな映画を撮るのは、いや、撮って許されるのは彼一人であり、オンリーワンな意味で「シャマラン映画」は「シャマラン映画」でしかなく、何処にも属さない、ひとつのジャンルという風に落ち着いてしまう。他の追従を許さないこの奇妙で奇怪な世界観は誰にも真似できないだろうし、それ以前にバカバカしすぎて真似しようと言う輩もいないと思う。もらったプレスには「新しいシャマラン・ワールド」と書いてあったが、僕はむしろ「バージョン・アップされた」と表現する方が近い気がする。それを示すかのように、毎回ちょこっとだけカメオ出演しているシャマランが、今回は準主役級の役で出ずっぱりだったりするのだ。いくらファンでも「それは出すぎだろ!」と突っ込まずにはいられない。

キャッチーな映像や独自のユーモア、そして高い編集技術で飽きさせないストーリー・テリング力は相変わらず素晴らしく、僕のようなシャマラン独特の世界観とバカバカしさを楽しめるファンには夢のような時間だが、例によってその他の一般の人々にはまるでお薦め出来ない、クサヤのような作品だ。間違ってもデートムービーとして観に行ってはいけない。相手に末代まで文句を言われるのは確実だろう。そこまで理解した上で、やっぱり僕は彼の映画が好きなのだ。一度ハマったら抜けられないこの味わい。誰かを道連れにするつもりはないが、今のところこちらから出て行く理由もない。