BEEF or CHICKEN / TERIYAKI BOYS

確かに豪華。だけど小さい。

Beef or Chicken (初回限定盤)
RIP SLYMEILMARIRYO-Zm-floのverbal、新人ラッパーのWISE、そしてNIGOで結成された五人組ラップユニットTERIYAKI BOYS。楽曲を提供するプロデューサー陣はネプチューンズのファレルを始めとして、ダフトパンクビースティ・ボーイズのアドロック、DJ Shadow、日本からはコーネリアスとそうそうたる面子揃い。ファレルのトラックで日本人がラップするなんて快挙は、現段階ではそうそう実現するものではない(これからは分からないが。何せクラプトンがアイドルに曲を提供する時代だ・笑)。まさにNIGOの持てるコネを駆使したからこそ出来た、海外・ミーツ・日本なビッグ・プロジェクトと言えるだろう。
だが、実際にリリースされた音源を聴いてみると最初から最後まで何だか釈然としない消化不良感が残ってしまった。トラックが悪いというわけではない。確かにどの曲も全力で作ったとは言い難く、如何にも片手間な感じが否めないものではあるが、キャッチーであり、湧かせどころもしっかり押さえているのでポップミュージックとしては十分なクオリティを誇っているし、4MCのラップのスキルも悪くない。もっと上手い人は世の中に沢山居るだろうが、そもそも日本語ラップと英語のラップでは、ニュアンスも含めて根本から違ってくるので、ただの英語ラップの物真似になることなく独自のスキルやフロウを身につけ、それを強豪アーティストが生み出したトラックの上で自由奔放に駆けめぐらせられる彼らがやはり最も適材なのだろう。本場のクオリティをそのまま日本に持ち込み、物怖じせず独自に調理した手腕はかなりの評価に値すると言っていいだろう。そう。全体的に悪くはないのだ。なのに、釈然としない。考えられる理由はひとつ。彼らは小山の大将でしかないからだ。
現在、スポーツ選手を筆頭に日本人の視野は海外に向けられ、ワールドワイドなものになっている。日本という土地を飛び出し、自分の力で闘い、勝利を勝ち取っていく日本人。それが今、最もこの国を熱くさせるトピックであることはほぼ間違いない。しかし、TERIYAKI BOYSは海外にその活動を広げるわけでもなく、コネといくらかのお金によって、海外の才能を日本に持ち込み、それを皮に着て日本という小さなコミュニティの中でではしゃいでいるだけに過ぎない。極端に言えば、録音機材やサンプリングツールが手軽に手に入るようになった現代では、ニューヨークの一流スタジオで制作しようが、マンションの一室で制作しようが、音のクオリティとしてはそんなに変わらない。やろうと思えば、これだけの海外のプロデューサーから片手間なトラックを掻き集めなくても、日本で本気汁満載なモノをいくらでも作成することは可能なのだ。もっと言えば、ソレを元に海外に殴り込みをかけることも出来る(勝てるかどうかは別として、クオリティでは負けないということ)。このメンバーならば、無名の人間のトラックを使用しても、この日本ではそれなりに戦える底力があるし、そこから新しい流れを生み出す力もあっただろう。これ程までのプロデュース陣を集めることも確かに彼ら(むしろNIGO)にしか出来なかった技だが、そこから先の展開がほとんどないのならば、それはやはりただの「コネ自慢」でしかなく、NIGOが最も得意とするブランド商法でしかない。結局のところトラックの善し悪しが実際どうかということよりも、それを作ったのが誰かと言うことにしか重心が置かれていないのだ。豪華なアーティストからおこぼれなトラックをもらい、それで日本ではしゃいでいる姿は、中学の野球部でぱっとしない男が小学校のリトルリーグのコーチで幅を利かせているような、ヘタレな天下りを思い浮かべさせてしまい、「何だか小せえなぁ」というため息をひとつ産み落とす結果に繋がってしまっている。
道楽と言ってしまえばそれまでなのだが、色んな分野で世界に挑戦している人間が多いのに、音楽という分野はどうにも海外へのコンプレックスが強すぎる気がして、時に落胆してしまう。別に邦楽を洋楽に変えなくても良いのだ。邦楽は邦楽のままでそれでいい。だけど、その自分たちの音にもっと自信を持って世界と渡り合っても良いんじゃないのかな。僕はこの国の音楽にはもっと希望があると思う。