野ブタ。をプロデュース / 白石玄

作り上げる幻想と崩れる虚構。

野ブタ。をプロデュース
第41回文藝賞受賞作であり、芥川賞の候補にも挙がった筆者のデビュー作。頭が良くて、ユーモアセンスもある。クラスの誰からも好かれている人気者の桐谷修二は、自分を演じることで他人との距離を測ってきた。そんなある日、彼は編入してきたいじめられっ子「野ブタ」のプロデュースを買って出て、人気者にすることに…。というのが大まかなあらすじ。日本テレビドラマ化が決定し、KAT-TUN亀梨和也とNEWSの山下智久が出演するので、最近話題になってまた売り上げを伸ばしている模様。
83年生まれと言うこともあり、文章はかなり今風。テンポが良く、流れるように読めるのは良いが、文章がまとまっていなくて読みづらい箇所も多々。科白の最後に(笑)なども入っていて、それだけで拒絶反応を示す人もいるだろうが、まあこれも時代の移り変わりと思えばそれなりに許容出来る範囲でしょう(2ちゃんねる用語だらけの「電車男」に比べれば日本語はそこまで乱れていないと思われます・笑)。
学校の処世術を教えることでいじめられっ子を人気者にすると言う設定は、「電車男」などの「自己改革モノ」として読むことが出来るし、「人気者でないと学校では生き残れない」と言う部分は、「ドラゴン桜」や「女王の教室」などの最近のドラマで見せた「勝ち組思想」を非常にポップにコーティングして打ちだしたテーゼだと思う。事実、学校という閉じた社会の中での個性の確立と認知は絶対必要条件であり、それは学校の成績よりも遥かに死活問題だったりする。学生時代の善し悪しは、その「個性戦争」を生き残れるか否か、という部分に懸かっていると言っても過言ではない。主人公は社会の仕組みを知り尽くして、人を舐めきっているところがある自信過剰な人間だが、その実極度に孤独を恐れる傾向があり、それを見破られないよう、「桐谷修二」という虚像を作り上げて人と接している。弁舌で自分のまわりの社会を形成=プロデュースしている彼は、自分のプロデュース能力が何処まで通用するのかを確認するという、ただそれだけの目的のために「デブ」で「キモイ」編入生「野ブタ」を人気者にすべく、策を巡らせ、虚像を打ち立てていく。
作中の高校生達のやり取りを如何にも現代の高校生らしい薄っぺらいものと捉えることは簡単だが、考えてみると僕たちの社会もイメージの共有で成り立っているわけで、何が本当のことで、何が幻想なのかわからない非常に危うい共同認識の上に出来ている。口に出した言葉が全て本当のこととは限らないし、目で見た物が全て本当のこととも限らない。多かれ少なかれ、誰もが自分をプロデュースして生きているはずだ。それがちょっとした事で全て崩壊してもおかしくない。この作品は、そんな自己プロデュースの栄光と挫折の両面を描いている。生きるために虚像を生み出す必要性、虚像にまみれて墜ちる皮肉。シンプルではあるが、普遍性をもったテーマ。表面的な文章の拙さや、登場人物の如何にもなキャラクター造形で評価を落としそうだが、作品そのものが持っている力はもっと強いと思う。話の核の部分だけ抜き取れば教訓的な絵本にもなりそうだ。
テレビドラマ版では「野ブタ」を堀北真希が演じるようで、それだけでかなりニュアンスが変わりそうだが(だってどう見たっていじめられそうに見えないでしょ)、この話をどう変えていくかと言うことには非常に興味がある。これを見て、今の学生諸君には楽しい学校生活を送って欲しい。自分の学生生活思い出すだけでも大変だったなぁと思うもん。本当、学校は戦場だよ(ちなみに僕は所謂"キモイ系"でゲハゲハ言いながら女子にセクハラしてました。今でもその基本スタンスはあまり変わってません・笑)。