KNEwwaVE / aM

光のカケラ

KNEwwaVE
くるり中村一義Number GirlSupercar。彼らに共通しているのは、00年にこぞってダンスミュージックを飲み込んだ独自のロック路線を生み出したということ。渋谷系以降の「邦楽の洋楽化」が完全に行き詰まり、世紀末という究極の最終形から沸き上がる不安に対抗すべくフィジカルなレベルミュージックであるヘビィ・ロックが全盛を迎えていた当時、その裏側で「不安を不安のままダンス衝動に取り込み解体する」という方法を試みたのが彼らだったと言える。「洋楽のスタイルを日本語でやる」というそれまでの手法を廃し、邦楽という文体にリズムの革命をもたらすことで生み出された新生ジャパニーズ・ロック。それは瞬間的なマッドチェスターとも言うべき突然変異の連続だった。だが、くるり中村一義Number Girlが「生き残るために」進化したのとは違い、Supercarだけは「進化するために」進化するバンドだった。「進化」という目的のためだけに手法を変え、音を変え、ジャンルのボーダーを飛び越えて、概念を塗り替えたバンド。Supercarが非常に偉大だったと僕が判断するのは、音楽の強さでもなく、歌の強さでもない。無言で「進化」を訴えかけ、実際にシーンに化学変化を起こしたその美しさだ。
そのSupercar解散後、最初に本格的なソロ活動を始めたのがドラムを担当していたコーダイこと田沢公大Supercarの初期時代のプロデューサーであるカナイ・ヒロアキと組んで、テクノ、トランス、ニューウェーブサイケデリックなどを飲み込んだピコピコダンスサウンドを投下するユニット、aMを本格始動(結成自体は解散前)させた。キラキラと光る透明なエレクトリックウェーブと不整脈のような変態的なリズムはSupercar時代を彷彿とさせつつも、より純化させた印象を受ける。もっと言うと、リズムのみが純化され、そこに光の粉をまぶしたかのようなクリアな世界。こんな言い方は良くないのだろうけど、バラバラに散らばったバンドの欠片が脈打って息づいているようだ。欠片を集めれば、もう一度あのバンドマジックを見られるような気さえする。ドラゴンボールに似たドキドキ感。いい加減、無くなったバンドの事は忘れて前を向いて行かなくてはいけないことも分かってはいるのだが、こうして欠片が光っているのを見つけてしまうと、無性に嬉しくて、少しノスタルジィにも浸りたくなってしまう。奇跡のような魔法は多分もう絶対見れないけれど、あの時フロアを埋めた紫煙の香り、汗の粒、歓喜の声は今もここに息づいている。ありがとう、僕はまだ踊れるよ。