あらしのよるに

食う者と食われる者を超えた友情は、恋愛感情なのか。

きむらゆういち氏原作による児童書をアニメ化したアニメ映画。原作は累計200万部という児童書としては驚異的な売り上げを誇る人気作ということで、今回の映画化は結構な力の入りよう。伝統的なセルアニメの手法の中に、それとは分かりにくいデジタル技術を取り込んで、独特のタッチと滑らかな躍動感で見せるバランスはかなりのクオリティ。一昔前のジブリ映画のような触感はやはり宮崎映画で育った僕には、作画だけは安心して見れて、ノスタルジィを刺激される出来映えだった。
嵐の夜に雨宿りに入った古びた小屋の中で出会った、山羊のメイと狼のガブ。暗闇の中でお互いが何者か分からぬまま交流を図り、その正体を知っても尚、何か惹かれるものを感じた二匹は周囲に隠れて密かに友情を育んできた。しかし、ある日、二匹の関係がお互いの群れに知られることになる。「友達」という関係を利用し、相手側の情報を聞き出すよう命じられるメイとガブ。しかし、友情を重んじた二匹は、一緒に群れを離れて共に暮らせる場所を探して旅に出る…。というのが大体のあらすじ。
ストーリー自体は如何にも子供向けに作られた、シンプルでストレートで、何のひねりもない展開が続き、思った通りの場所に落ち着くので、大きな感動はない(上のあらすじから想定される最もベタな展開と結末)。あまりにひねりがなさ過ぎて、情報過多ですっかりスレてしまっている現代の子供が本当に感動するのかと心配になってしまう程分かり易い(でもまあ、原作がこれだけ売れているって事はまだまだ日本も捨てたものではないのかも知れません)。この話の肝は、「食う者」と「食われる者」という関係にある山羊と狼の種族を超えた友情。山羊のメイの方はほとんどのほほんとしているが、狼のガブの方は、食欲と友情のどちらを取るのかという葛藤を迫られる場面に何度も遭遇し、その都度友情を選択していくのだが、ある意味究極の友情とも取れるし、もっと言うと恋愛感情とも取れる。いや、断言してしまおう。これは山羊と狼のラブストーリーなのだ。舞台を動物界に置き換えてはいるものの、掟を破って群れを離れる二匹は、駆け落ちして行くゲイカップル以外の何者でもない(声優が成宮寛貴だから余計にそう感じる)。観賞中、正直こんな話を子供に見せて良いものかと何度もドキドキしてしまうくらい、際どい科白の応酬があった。群れから逃げ出した後「これからずっと一緒にいれますね!(はあと)」とか、山羊が寝ている間に隠れて狩りをしていた狼に対して「殺生が嫌なものは嫌なんです!(ぷんぷん)」と痴話喧嘩を始めたり。その後ピンチを救ってもらって、「さっきは勝手なこと言って済みませんでした(てれてれ)」と仲直りしたり。いやいや、これどう見たってカップルの会話でしょうという話の連続。本気で同人本作れますよ、コレというくらいのラブラブっぷりを炸裂させておりました。単純に児童文学として作られたのなら別に良いのだが、ひょっとしたらコレは大人向けに裏メッセージが隠されているのではないかと深読みしてしまったくらいだ(しかし確実に全て僕の誤読であると確信していますが・笑)。裏がないなら無いで、凡庸な子供向けの毒のない安全なアニメとしか評価出来ないところもまた辛いところ。
本当に素晴らしい「児童向け」作品とは、子供の視点で問いかけつつも、それを見た大人がはっとさせる普遍性を持っていることだと思う。シンプルな視点だからこそ気づかされる複雑さ。「あらしのよるに」は、穿った見方をすればゲイカップルの逃避行の物語としてみることも出来る。だがしかし、それがゲイである必然性もなければ、訴えかけるものでもなく、"ただ、なんとなくそう見える"という程度でメタファーにまで成り得ていない(制作側が意図していないのだから当たり前なのだけれど)。かといって、児童物として見れば、やはりそれは単純に子供にウケることを前提に作ったただの子供だましの作品と言える。それなりに子供は満足はさせられるが、話の底が浅いために心に響くものは何もない。「食う者」と「食われる者」という絶対的な関係を越える友情を成立させるには、「こいつといると楽しい」というお互いの気持ち以上の説得力が必要なのだ(しかも山羊の方は母親を狼に食い殺されたという過去を知っても、それほど葛藤がない)。せめて山羊の声なり設定が女の子ということならば、恋愛感情として落ち着くところに落ち着かせられたかも知れない。だが、実際は中村獅堂、成宮寛貴という男性同志に設定してしまったため、どうにもヤオイ的な匂いがプンプンする妙な空気を生み出してしまった。せっかくの豪華スタッフ、キャストでの高クオリティな作品なのだから、もう少し詰めをしっかりして欲しかったというのが正直な感想だろうか。