ダ・ヴィンチ・コード

小説の挿絵としてしか機能していない

全世界で5000万部の売上を誇るダン・ブラウンの大ベストセラー小説を映画化。5/17から始まっているカンヌ映画祭で初披露されたため、その日まで36分間のフッテージ映像以外はマスコミ試写の類も一切行われず、完全極秘の中制作が進められた超話題作である。キリスト教の歴史を塗り替える新解釈が作中盛り込まれているため教会側から激しく否定されたり、盗作疑惑が持ち上がって裁判沙汰になったり、カンヌでのプレス試写では大ブーイングを浴びるなど、何かと話題に事欠かないことでも注目が集まっていた本作だが、本日全世界同時公開で遂に解禁。早速見てきたわけだが、正直かなり辛い作品だった。
ストーリーはルーブル美術館館長殺害事件の容疑者として、主人公の大学教授ロバート・ラングドンが疑われるところから始まる。彼はその無実を晴らすべく、警察の追跡や宗教界の様々な思惑の間をくぐり抜け、生前館長が残した暗号を解読し、その真相に迫っていくというもの。殺人事件の真相解明に「世界ふしぎ発見!」などでよく紹介される歴史ミステリーとインディー・ジョーンズ的なトレジャーハンティングな要素を絡めた知的な冒険物語だ。実際、原作の小説は単行本にして2冊、文庫本にして3冊の大長編だが、読もうと思えば一夜にして読み切ってしまうほど引き込まれる面白さを持っている。歴史ミステリーの部分の真偽は兎も角として、次々と立ちはだかる暗号をばしばし解いていく様はRPGのイベントをクリアしていく快感に似ており実にスリリング。衒学的な要素も多く含んではいるものの、ストーリーの見せ方が実に映像的なので、これに忠実に作られているのならばそれなりに面白いものに仕上がっているだろうと期待したのだが、こうして目にしてみると予想以上に壁が高いことがはっきりと分かる。
確かに原作に忠実なのはかなり忠実なのだ。しかしそれは原作のストーリーをそのままなぞっているというだけで、映画としての抑揚が全くなく、小説の挿絵的な映像が淡々と続いて行くのみ。ひとつの言葉に二重三重の意味が含まれている暗号解読シーンが、字幕や台詞での説明ではかなり分かりづらいので簡略化は免れないものの、ストーリーの骨格としては、警察の追跡からの逃亡、刺客との攻防、意外な真犯人との対峙など、かなりドラマティックな展開を含んでいるにも関わらず、最初から最後まで一切盛り上がらない。まるで消化試合のように、ただただ小説のシーンを映像に調理しているだけ。更にキリスト教の宗派同士の派閥争いに関してもほとんど説明がないので、馴染みがない日本人には原作未読のままで見るとさっぱり分からないと思われる。誰がどういった思惑で行動し、何をどうしようとしているのかというそれぞれの目的が全然見えてこないので、物語の背景部分が全然理解出来ないままストーリーを追う羽目になる(原作既読で見た僕ですらアリガンローサ神父の行動の意味が分かりづらく感じた)。更に、物語の肝である歴史ミステリーの解説部分もかなり説明を端折っているので、世界史に弱い人には相当分かりづらい。それでも小説に登場した有名絵画や建築を見ることが出来る…という楽しみ方が残っているかと思いきや、それらもほとんど映っていないという始末。つまりは、この映画は原作の持ち味をどれ一つとして活かし切れていないのだ。徹頭徹尾、大ベストセラー小説に映像をつけただけの、典型的な「挿絵映画」となってしまっている。トム・ハンクスジャン・レノオドレイ・トトゥ、そして何よりもサー・リー・ティービング役を演じる本物の「サー」、イアン・マッケラン。これ以上ないくらいの豪華キャストであるにも関わらず、映像に全く熱がこもっていないので、彼らの演技に熱が入れば入る程、それが虚しく空回りを起こしているのが何とも悲しい。
そんなわけで、「ダ・ヴィンチ・コード」を見たいという人には先に原作を読んでおくことを強くお勧めする。ただ、原作を読んでいたらいたで、その忠実さのあまりに上映時間150分が非常に長く感じることも忠告しておこう。いずれにせよ京極夏彦の「姑獲鳥の夏」と同じように、小説版の強みをまざまざと見せつけられた作品だ。原作の小説は本当に面白いので、こちらは読んで絶対損はないです。それだけは確実に保証します。

HORIZON / レミオロメン

10年先も聴けるアルバム

HORIZON
「粉雪」の大ヒットで一躍トップアーティストに躍り出たレミオロメン。デビュー以来、ネクストブレイクと謳われつつも何かとタイミングが折り合わず、アジカンにお株を奪われたり、サンボに先を越されたり。「ロッキンオン」を始めとするサブストリーム系のカルチャーでは絶大な支持を誇りつつも、一般的な市場での認知度は今ひとつ上がらず、随分と不遇の時代を過ごしてきた。ドラマタイアップという大きな後押しを受け、ようやくのことで日の目を見た彼らが、その人気を定着させるべくメジャー街道に向けて放つ「勝負のアルバム」が本作「HORIZON」である。
様々な期待を背負わされた形となるアルバムだが、その期待に十二分に答えられる程この作品が持つポップ指数は、はっきり言ってかなり高い。シンプルなメロディと計算されつくしたアレンジによる洗練ポップミュージックのオンパレード。ジャケットのデザインが似ていることもあるが、どことなくMr.Childrenの名作「Atomic Heart」を思い起こさせる完成度だ。スリーピースバンドであることにこだわらず、ストリングスやキーボードをふんだんに取り入れることで、サウンド的にぐっと広がりを持たせることに成功しているが、それ以上にそういったサウンド面のアプローチが彼らの武器である「言葉」により彩りを加えたと言うことが重要なファクターとなっている。
そもそも「粉雪」のヒットの要因は、サビの「こなぁぁぁゆきぃぃい」と言うフレーズのインパクトの強烈さも然ることながら、日本語歌詞をしっかり読み聞かせるという、日本人の日本語による日本語ミュージックに回帰したことが大きい。ほとんど小説的と言って良い、情景と心象を描き出した独自の世界をメロディに乗せて歌うというのは、渋谷系以降、散文詩として解体されてしまった日本語ロックの揺り戻しを通り越して歌謡フォークの域まで達しているが、絵画的なヴィジョンと共感性をもった言葉が音楽という水を得ることでより鮮やかに動きだし、映画の如きポピュラリティーを発揮する。そのノヴェルが多くの人の心を捉えたのだ。
音楽に乗せて、言葉を読ませる。考えてみれば最も健全で最も基本的なことなのだが、それをここ10年ほど日本のポップミュージックがおざなりにしてきたのも事実だ。このアルバムには新しさはないが普遍性がある。言葉にするのは簡単だが、実際に普遍性のある作品に出会うのはそうそうあることではない。どんなにチャンスに恵まれなくとも、自分たちのポップを貫いたレミオロメンだからこそ作り得た、10年先も聴ける会心作だ。

Catch The Wave / Def Tech

最高のマスターピース

Catch The Wave
しばらく忙しい日々が続いてBlogの更新も滞り気味に。これでは良くないなと自分に言い聞かせ、色々な音楽や映画のことについて書こうとここ数週間頑張ってみたのだが、どうにも筆が進まない。「進まないってお前それでもプロかよ」と突っ込まれてしまえばそれまでなのだが、忙しくなると感覚が麻痺してしまい、プライベートな言葉が出てこなくなってしまうのだ。入力も鈍くなるし、出力も鈍くなる。そうなると、ちょっとやそっとのことでは心が動かなくなってしまい、しばらくはただただ仕事をこなすだけの無感動な仕事お片づけマシーンと化してしまうのだが(おそらく膨大な仕事をこなすために無意識的に感情をシャットダウンしていると思われる)、そんな状態を一気に覆し、人間に回帰させてくれるものと出会う時がある。それらは大抵2パターンで、いきなり頭をズバンと射抜くような凄まじいインパクトを放つものと、お茶漬けのようにすっと耳に入ってきて徐々に心を潤してくれるという、実に両極端な刺激だったりするのだが、今回はその2つのパターンが波のように押し寄せて一気に流されたという感じに近い。Def Techのサード・アルバム「Catch The Wave」だ。もう凄いアルバムだと言い切ってしまおう。ジャンルが全く違うので比喩の対象に持ち出すのも筋違いかも知れないのだが、これはオアシスの「モーニング・グローリー」に匹敵する完全なマスターピースだ。全曲がシングルカットしても通用するクオリティを誇っており、一曲も捨て曲がない。

柔軟性に富んだ音楽性は言うまでもなく、彼らが何よりも長けているのはリリックの強度だ。韻を踏むことや語感の気持ちよさに囚われすぎて、結果としてただの言葉遊びになってしまっているだけのなんちゃってヒップホップが多い中、彼らは日本語と英語という二つの言語をごちゃ混ぜにし、異なる言葉の間を縦横無尽に駆け抜けながらも、言葉を向かう場所、向ける対象を常に明確にし、それらのど真ん中を鮮やかにぶち抜いている。中には非常に政治的なリリックも含まれているのだが、一時期のヘヴィロック勢がナチ的とも言える偏り方で強行的にオーディエンスをアジテートし、それ故に即座に行き詰まり、短命に終わったことに対し、サーフ・ミュージックのグルーヴと結びつくことで、しなやかに投げかけることに成功している。ラウド故のキャッチーさはないものの、新世紀を迎え、言いようのない不安が解体された現代では、これくらいの「日常に根ざした」言葉の方が実はリアルだ。内省的なミディアムナンバーも、昨今の文学系ロックがこぼす、うじうじとした後ろ向きなものよりも断然前を見据えたものになっており、聞けば聞くほど、彼らの音楽は未来に対して鳴らされていることがはっきりと分かる。これだけ足腰がしっかりした音楽と言葉をタイアップ曲というマーケットに乗っけても自分たちの音楽として成立させるフットワークは、なかなか真似出来ない職人技だ。同じようにヘヴィロックばりの政治的なメッセージとサーフ・ミュージックを融合させたことで思い起こされるのがAIR(from JAPAN)だが、随分とグルーヴィーなものとなった最新アルバム「A DAY IN THE LIFE」と聴き比べても、こちらの方が柔軟性や言葉の訴求力で断然上回っているように思える。と言うか、Def Techがずば抜けてしなやかすぎるのだ。ナチュラルボーンな彼らのグルーヴには、後天的な模倣ではいくら演奏力が上がっても追いつけそうにないと言うことをまざまざと見せつけられる。

更には14曲入り(そのうち5曲はタイアップつき)で1980円という豪華&安価な親切設計。良い音楽は高い金出して買っても全然良いと僕は思うが、こういったところの心遣いも、多くの人の耳に届けさせるためには非常に大事なことだと思う。とにかく興味を持ったのなら、試聴機ですぐ聴いてみて欲しい。2000円が高いか安いかという判断はすぐにつくと思うので。

Arctic Monkeys / 2006'0404 / 新木場STUDIO COAST

ロックスターの生まれる瞬間

−set list−
The View From The Afternoon
I Bet You Look Good On The Dancefloor
You Probably Couldn't See For The Light But You Were Starting Straight At Me
Perhaps Vampires Is A Bit Strong But...
From The Ritz To The Rubble
Cigarette Smoker(新曲)
When The Sun Goes Down
Red light Indicates Doors Are Secured
Still Take You Home
Dancing Shoes
Leave Before The Lights Come On(新曲)
Fake Tails Of San Francisco
A Certain Romance

凄いライヴを見てしまった。あまりのポテンシャルの高さにあちこちで反響を巻き起こしている彼らのデビューアルバムですら、このライヴの後では子供騙しだとすら思えるほどの凄まじさ。実際のところ、録音技術の進んだ現代では、それだけでバンドの真価を判断するのは昔以上に難しい。いくら下手でも荒くても、それなりに綺麗に仕上げられるため、誤魔化しはいくらでも利くからだ。それだけにアルバムを聴いた段階では、彼らの発想力とその器用さに舌を巻いたものの、ロックバンドとしては正直未熟で、演奏自体はかなり大ざっぱなものだと思っていた。だがしかしどうだろう。蓋を開けてみれば、鉄壁のようなバンドセッションの嵐。ほとんどエフェクターを通していない乾いたギターカッティングと垂直に叩きつけられるビート。自在に変化する複雑な曲を正確に鳴らし、尚かつロックンロールとしてのダイナミックさもしっかり兼ね備えている。すべてが必殺技とも言うべき強烈なインパクト。ぎっちぎちに埋め尽くされた人の波が絶えず蠢いては臨界点を迎えて弾け、また渦を巻く。ここ近年、あんなに盛り上がっているフロアを見たのは本当に久し振りだ。勝利をつかみ取ったかのように突き上げられる拳、拳、拳。絶頂とも言えるシンガロングの応酬。全てを受け入れるハンドクラップの花畑。ライヴの醍醐味とも言うべき全てのコミュニケーションを必然と起こし、抜群のコール・アンド・レスポンスで会場を支配する驚異的な吸引力。誇張でも何でもなく、何年も何年も語り継ぎたくなるような、奇跡的な煌めきに満ちあふれた素晴らしいライヴだった。これを本物のロックスターの誕生の瞬間と言わず何と言おう。何だかんだで「ブーム」で終わってしまい勝ちだった昨今の新人バンド勢だが、彼らなら「時代」を築けるのではないかと、あのライヴを見た後なら確信出来る。ロックンロールが好きで本当に良かった。
今夏「SUMMER SONIC 2006」で再度来日する彼らだが、参戦するなら絶対見ておいた方が良いと断言しよう。もう、本当に凄いから。猿万歳。

You Are The Generation That Bought More Shoes And You Get What You Deserve / Johnny Boy

100万回だって聴いてやる

You Are the Generation That Bought More
HMVで試聴して感動のあまり店内で号泣して以来、知り合いには絶対聴けと勧めまくってるJohnny Boy。勧めまくってるくせに、オフィシャルサイトでフルで聴けるからという理由で今までシングル買わずにアルバムずっと待ってたんだが、仕事帰りにHMVぶらついてたら我慢出来なくなって購入。もう延々聴きっぱなしですよ。「Yeah! Yeah!」叫びながら号泣。「Yeah! Yeah!」叫びながらベッドの上跳ねまくり。隣人は多分俺がもの凄く変わった性癖を持っていると思っているに違いない。大丈夫だよ、俺コスプレ以外興味ないから。通報すんなよ。
滅茶苦茶乱暴に言うとプライマル・ミーツ・ベルセバって言うもの凄いジキル・アンド・ハイドなサウンドなんだけど、「この天使のような悪魔の笑顔」って今時近藤真彦も真顔で歌わねーだろってことを平然とやってのける凄まじさ。もう無垢すぎて逆に凶悪っつーか、本当ピュアって狂気と紙一重だよねって賛美歌を延々と頭上から降り注ぎまくり。人工甘味料でこってこてに味付けされた近年の音楽シーンを一瞬で吹っ飛ばすような鐘の音が耳壊れるまで頭の中でガンガン鳴り響いてますよ。冒頭のドラムが80年代にぎっとぎとに塗り固められたニューウェーブ、エレポップシーンを木っ端微塵に吹き飛ばしたジーザス&メリーチェインの「JUST LIKE HONEY」とまんま一緒なのは偶然なのか意図したものなのか(ロネッツの「Be My Baby」とも一緒なんだけど、ここはやっぱりジザメリと結びつけた方が色々スッキリする気がする)、意図しているなら何を示唆しているのか。歴史的な符合も非常に面白い。ジザメリ登場から20年を経て、全く似たように行き詰まってしまっている現在の音楽シーンに大きな風穴を空けてくれそうな気がしないでもないのだが、ぶっちゃけシーンがどうとか時代がどうとか、もうそんなものは俺にはどうでも良くて、例えこいつらがこの一曲だけの一発屋でも全然OKで、この曲と合い言葉の「Yeah! Yeah!」さえあれば他にはもう何も要らないくらい僕は至福のひとときに浸れるのです。無理にロックンロールを復権しなくてもいいよ、未来を託されなくても良いんだよ。ジタバタしてても時代は明けないんだから、そういうのは来るべき時に自ずと訪れるものなんだから。
だからその時が来るまで、僕は何度でも何度でも何度でも、100万回だってこの賛美歌を聴いてやる。

Johnny Boy / Johnny Boy

出会いたかった奇跡がここにある


いきなりで悪いんだけど、泣いて良いかな。というか、もう既に号泣してるんですけど。昨年シングル「You Are The Generation That Bought More Shoes And You Get What You Deserve」で出会って以来、ずっと恋をしていたバンド、Johnny Boyのアルバムが、遂に、遂に、遂に!発売になった(と言っても日本では現在、岩盤ショップのみの先行リリースで、正式に販売されるまではまだ時間があるのだが)。昨年末に一度、アルバムが発売されるという噂を聞いて小躍りしたものの、待てど暮らせどアルバムが発売される様子はなく、一時期はUKのオフィシャルサイトまで消失(後に復活)するという事態にまで陥り、このまま世に出ないのではないだろうかとめちゃめちゃ危惧していたのだが、事の真相はどうやら所属していたレーベルVertigoに突然契約を打ち切られ、法廷闘争に突入していたらしい。そんな紆余曲折を経て、今回めでたくオーストラリアのSpeak N' Spellからリリースされることが決定し、ようやく日の目を見たわけだ。良かった。本当に良かった。
と、発売が決まっただけでも泣いていたというのに、実際に聴いてみるとこれがまた泣けるくらい良いから困る。ジーザス&メリーチェーンの気怠く甘いメロディ、マイ・ブラッディ・バレンタインの体現させたフィードバック・ノイズの桃源郷プライマル・スクリームが放つケバケバしい毒。さらにヴァセリンズのへたれひねくれポップに、ベル&セバスチャンの持つイノセンス。その全てがこのアルバムに詰まっている。80年代後半から90年代のイギリスのロックシーンをごくりと飲み込み、その時代を切り取ったかのように産み落とされる珠玉の音楽たち。一曲一曲のクオリティと振り幅は恐ろしく広いのに、輪郭をぼやけさせることなく、すっきりと全体をまとめる手腕は流石と言うほかない。耳が壊れるまで鳴り続ける祝福のウォール・オブ・サウンドの嵐。ああ、僕はこういう幸福と高揚感にもう一度出会いたかったんだ。素晴らしき音楽に感謝。

一応昔書いたシングル「You Are The Generation That Bought More Shoes And You Get What You Deserve」のレビューも再掲。本当に素晴らしいので、このシングルだけでも聴いて欲しい。

ラストデイズ

死に行く者の圧倒的な絶望

「エレファント」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した、ガス・ヴァン・サントカート・コバーンの最期の48時間をモチーフに制作した最新作。劇中にはブレイクと呼ばれる一人のカリスマ・ロック・アーティストが登場するが、ボーダーのシャツ、破れたジーパン、サングラスなど、ファッションを見る限りは完全にカートそのもの。モチーフにしたとはいいつつも、これは完全にカート・コバーンの最期の48時間の物語だと言っても良いだろう。とは言え、そこは常に尖っている作品を世に送り出すガス・ヴァン・サント。ただの伝記物になるはずもなく、この映画では明確なストーリーは一切放棄され、カリスマ・ロック・スターの栄光や、彼が陥った絶望の背景なども描かれていない。何の脈略もなくコラージュ的に彼の最期の時間を淡々と追っているだけだ。主人公は登場したときから既に廃人で、泥だらけのパジャマでぶつぶつ呟きながら森を放浪し、川に飛び込んで放尿をする。別荘に辿り着いても、症状は一向に落ち着かず、電話に出てもろくに話せず、女性の下着の上にコートを羽織り、ライフルを持って家中を徘徊するなど、徹頭徹尾どうしようもない人間。その淡々とした脈略も文法も放棄した映像の向こうから見えてくるのは圧倒的な絶望感だけだ。どう説得しようとも、どう勇気づけようとも救えないと言う圧倒的な闇。死ぬしかないと言う絶対的な答えが冒頭から提示されたまま、その結末に向かって目眩くスピードで映画は落下していく。そこには世界中のファンを今も惹きつけるカリスマ・ロック・スターの姿はなく、いるのは全てに疲弊し、負けきった一人の弱い男だけだ。そのあまりの悲惨さに怒る人もいるかも知れないし、嫌悪感をむき出しにする人もいるかも知れない。けれども、変に持ち上げて彼の虚像をいたずらに膨らませるよりも、死の欲望に負けた弱さをしっかりと捉え、描くことで、この映画ははっきりと「生きろ」と伝えてくれているような気がする。何よりも泣けるのは、薬物中毒と酷い鬱症状で他人とろくに口を利けなくなっている主人公のブレイクが、感情を吐露するシーンは全て歌や演奏でのみ語られているところだ。森の中でたき火をし、夜空を眺めつつ「故郷よ」と祈るように歌う姿、魂を削るようにギターノイズを垂れ流し、部屋中のたうち回る演奏シーン(かなりの迫力であるにも関わらず、ずっと引きの映像で撮ることで、彼の叫びが既に誰にも届かない様を見事に表現している)、そして特筆すべきはラストにアコースティック・ギターを手に自分の心情を歌い上げるシーンだ。この曲はブレイクを演じたマイケル・ピット自身によるオリジナル曲らしいが、本当にカートが乗り移ったのではないかと言う程、リアルに突き刺さる。最初から最後まで完全な廃人という難しい役所を見事に演じきっているだけではなく、ここまで役に成りきっている彼の演技力は映画の是非は兎も角として、純粋に評価するべきだと思う。
最後に、思いっきり余談ではあるのだが、ソニック・ユースのキム・ゴードンが役者として出演しているというので結構楽しみにいたけれど、出演シーンは案の定少なく、芝居自体もそつなくこなしちゃってるのがちょっと残念だったかな。